民宿経営の歴史

 民宿経営の歴史をとらえることによって、民宿の発展的段階を把握することが可能になります。とくに経験的な主観的な価値判断によるのでなく、民宿経営の現実的な存在に開する研究がなされ、より科学的判断をすることができるからです。
 ところで民宿経営の歴史をとらえる場合、歴史的に古い長野県白馬村の民宿経営を研究することによって発展段階を知ることができるでしょう。すくなくとも調査した限りにおいては、白馬村の民宿経営をはじめた初期の段階は、ごく自然発生的なものであったと思われます。それは、明治時代中期に白馬登山をする人の山案内人を媒介とする民宿化で経済的な意図がなかったものと思われます。
 ちなみに、そのころの動機について、明治16年ごろよりアルプス登山者の入り込みが始まり、大正5年信濃鉄道が大町まで敷設されると、その敷は増加の一途をたどり、大正末期には冬山登山も行われたが、旅館は四谷にあっただけで、細野にはなく地元山案内人の家に宿泊し登山し、下山のおりも農家に宿泊して帰った。」これが民宿の始まりであるとしています。

スポンサーリンク

 また、1960年8月の聞取集計によってみると、昭和初期の段階の開始動機は経済的動機のなかったことを証明しています。
 このように民宿の開設された動機は営利的、経済的動機にもとづくものでなく、その目的をもっていなかったのです。この段階の民宿経営を、ここでは成立期前期の民宿経営形態とみることができます。
 しかし昭和12年には県は許可制にしており、許可を得たものが正式に民宿の営業を開始させているのです。白馬村では16戸が正式に民宿の営業を開始しているのです。つまり、はじめて業として独立して営利生、経済性をもった民宿になりうるのです。それと同時に民宿経営者は民宿経営に対する経営意思をもち認識したものと思われます。
 このような事実から筆者は、このときから民宿経営が正式にはじまったと考えられます。そして、その後、大学生、高校生のスキー合宿が盛んになり、戦後,昭和21年には八方尾根滑降のリーゼンスラローム大会が開かれスキー場として脚光をあびはじめます。そのために無許可の民宿が続出し、競合関係にある旅館が保健所に抗議と抑制の願い出により、県は許可制により制限を加えています。その当時8戸だけ許可を得ています。
 従って、このころまでの民宿経営は原器的形態として存在したのです。この原器的形態とは、施設、設備は現存の施設、設備を利用する。労働力は自家労働でまかなう。食料品は自給自足する形態です。このような経営形態の時期を民宿経営の成立期としてとらえることにします。
 しかし昭和28年ごろには民宿利用者の増加を抑制できず、積極的に指導監督し発展を計るうとする方針に変わり許可届け出を勧誘したのです。
 そして、昭和29年には名木山リフトの建設、昭和33年12月、東急資本の八方尾根進出とともに急激にスキー場の開設が行なわれ、スキー客の入り込みの急増がみられました。
 また、観光客数、観光消費額、スキー場数、スキーリフト数も急激に増加していることが明白になっています。
 このようなことから昭和27年以後,昭和47年までの20年間を民宿経営の成立期前期とみてよいでしょう。つまり、この時期になると農業所得から民宿経営に移行して所得の増加をはかろうとしたことが明白になってきたのです。
 そして現金収入依存型の主、客の移動がなされた時期です。そのために急速に専業農家から兼業農家に移行し、兼業農家数が多くなり昭和50年には84.5%となっています。つまり兼業農家数の増加により民宿経営者は白馬村全体の3分の1以上の人の従事者数となります。そして民宿経営規模の拡大にともなって良策経営の縮小化をよぎなくされることになります。このような農業経営から民宿経営の変化は経営的には質的転化したことを意味しています。
 具体的には、農産物のように有形財を商品化することによって労働の収益性をはかることができたのに対して、民宿経営のように無形のサービスを提供して収益を得る経営形態に転化したためです。産業形態としては第一次産業から第三次産業の転化形態としてみることができます。
 この反面、忘れてならないことは、農業生産基盤である土地という不動産を売却し、その代金で建物という不動産の売却による転化がなされているのです。
 つまり民宿経営者の農業用土地の量的減少により民宿経営用の建物という質的転化したことを意味します。そして土地売却代金と建物の物件購入費の差額は金融機関からの借入による設備投資となります。
 このような投資の格差が民宿経営格差となっていることは明白であり、いなめない事実です。
 この現象は、ますます、隣り近所が増改築したので、うちでもやらなくてはという根強い他人指向型、集団指向型意識、であり、見栄である状態を濃厚にしていくのです。そこには民宿経営者の経営理念のないことが顕著であり、物財管理の安易さによるものと思われます。このようなことから経営形態は、まったく質的に異なっているのです。
 しかし、その後の動向は伸び悩みであって成長期後期に入ったものと思われます。
 ちなみに分析してみると、昭和48年のオイルショック以降、スタクフレーションのなかで、雪不足等によりスキー客を中心とする観光客の減少がみえはじめまし。そのため民宿の件数(軒数)の増加はわずかでした。それに経営格差と過当競争の表面化により民宿経営は不安定な状態になったのです。
 そして大資本によるリフトの増設によって経営環境の大規模化をよぎなくされています。
 そして安易な経営姿勢は物財管理から動出されてくるところの無計画な増改築等に基づく過大投資につながり、その結果、減価償却費、支払利息の増大を招来してくるのです。
 この経営姿勢の根底には、土地という物的なものが資本を媒介して建物の拡大により大規模経営に移行させています。そして、それは成立期にみる経営形態の特徴から非常に乖離した状態を露呈するにいたっているのです。
 他方において乖離した民宿経営の所産として、民宿経営者は労働力不足から近代農業に切替えるための新型農機具の購入による代金支払に対して一層の困難をきたしているのです。この経営困難の二重性を我々はみのがしてはならないし民宿経営の乖離をひきおこしている要因です。

田舎暮らし

民宿の経営/ 民宿の概念/ 旅館業法と民宿/ 観光と民宿の関係/ 民宿の意義と方法/ 民宿の立地/ 民宿の施設機能/ 民宿の環境立地/ 宿泊機能を中心とした民宿の立地/ 民宿立地の一般理論/ 民宿の実態/ 長野県白馬村民宿/ 民宿の問題点と将来性/ 学生村経営の問題点と解決策/ 民宿経営の基礎概念/ 民宿経営の歴史/ 民宿経営の種類と形態/ 民宿の労務管理/ 民宿の情報管理/ 地域社会と観光創造におけるメリット/ 地域社会と観光創造のデメリット/