農村社会の変容

農工間の所得格差が増大するのに伴って、若年層を中心とした農業人口の農村からの流出が激増し、農業人口の減少傾向が指摘されています。しかし、これを農家戸数でみるとさほど減少はしておらず、農家人口も総人口の3割を占め、依然として日本の人口における大きな比率になっています。しかし、このように総人口の3割にあたる人達が住む農村住宅は、戦前、戦後を問わず住宅研究分野でもあまり対象として取り上げたり、住宅問題の課題になることも、まして施策の重点におかれることも少なく、特に戦後は、戦争による住宅の直接の被害が都市に集中しており、420万戸の住宅不足という厳しい情勢のなかで問題が提起されており、必然的に都市住宅があらゆる角度から重点的に取り上げられ、問題の解決が迫られていたのです。これに対して、農村では戦争による住宅の直接被害も都市に比べれば僅少であり、そのうえに住宅の所有形態もほとんど持家ということもあって、問題の解決は個人の責任に任されてしまい、このために、間題が容易に顕在化せず、社会的局面での一般的展開がみられませんでした。

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戦争中の住宅維持のわるさは住宅の老朽化現象を大きくしており、これは、住宅の構造的老朽化よりは、むしろ社会的陣腐化による住宅不満をひきおこしています。つまり、従来の間取りのなかで、今日的生活を営むことの困難さが農家の側からも訴えられており、このための解決として住まい方や住宅改善などの実践的指導が行なわれるようになってきました。これに対応して、研究面でも農村住宅の平面計画の検討がようやく本格的に取り上げられるようになってきており、現実の生活に即した農村住宅の平面計画についての新しい提案が必要となっているのです。また、一方では農村の都市化、過疎化現象が進行しており、このことはすでに旧態勢での農村生活の維持を困難としていて、そのために、今日では農村計画の必要性や集落再整備が検討される事態になっています。この場合にも、今後の農村生活の方向を見定めたうえでの農村計画樹立であり、集落再整備でなければならず、農村住宅も新しい農村生活との関連のなかで同時に検討されなければなりません。
農村住宅の現状を知るためには、戦後特に変容の激しい農村社会の実態をその背景として理解する必要があります。なぜならば生活や住宅は、それのおかれた社会の動きと密接な関係をもって存立しているからです。
戦前の日本の農村社会は、土地所有の地主小作関係がそのまま身分的な階層制となって農村社会を構成し、また規制してきたといえます。それが、昭和20年の第二次世界大戦の敗戦によって、GHQの強力な示唆をうけて、農地改革が断行されるにいたりました。これによって長い間つづいてきた地主的土地所有は解体され、農地の解放をうけた小作農の自作農化が実現したのです。
この結果、小作地面積の総耕地面積に占める割合は、昭和16年に46%であったのが、25年には10%にまで減少し、農家のうち自作農と自小作農の占める割合も16年の42%から25年には88%にまで増加がみられ、農地解放による自作農化は一つの成果を得ることができました。この自作農化によって、生産基盤は平準化の方向に近づき、これまで支配的であった身分的階層性は消滅し、部落規制もその力を失ってきており、農村社会の変容は目ざましいものがあります。
上述の自作農化を契機として、その後の農業経営や農業技術の発展や進歩は著しいものがあります。これまで米麦中心だった農業経営は、米を基盤としながらも、果樹作や畜産の導入、なかでも酪農の進展、ビニールトンネルの採用と園芸作物のとり入れなどがすすめられ、一方では作業の機械化、機械の大型化がもたらされるなど農業技術の進歩に裏付けられながら多様化してきています。このような経営の変化や農業技術の進歩が、農村住宅に与える影響は大きく、戦後の農村住宅変容の大きな要因となっています。
農業の発展を一方の極におきながら、戦後の日本経済は、朝鮮戦争をさかいとして急速に回復を示し、なかでも工業の成長は目ざましいものがありました。このため、昭和30年頃より、農工間の所得格差が大きく開きはじめ、このことが問題とされるようになりました。このような農工間の所得格差の増大は、農業労働力の兼業化をうながし、都市への人口流出が始まりました。農村からの人口流出も、当初は余剰労働力の次三男などの傍系家族を排出していましたが、昭和35年以降になると農業後継者や経営主などの基幹労働力の兼業化にまで及んでいます。農村からの人口流出の著しいのは山村、農山村地域にみられ、これらの地域に過疎減少がひきおこされています。人口流出減少によって、農業労働力の老齢化、女性化が目立ち、農業経営に及ぽす影響は少なくありませんが、これら農家では兼業農家を含めた生産の組織化や省力技術の導入によって、経営の維持をはかるなどの対応を示しています。
昭和30年以降の人口の都市集中は、都市の過密化を招き、住宅不足と宅地価格の高騰をもたらしています。このため、宅地や工場敷地は、より安価な地価を求めて都市周辺都に出ていく傾向が著しいく、特に地方公共団体による宅地開発は、巨大な住宅団地を都市周辺部農村内に生み、大都市のベットタウン化がみられます。このような都市の膨張は、周辺農村において農地の宅地転用と脱農化を促進しており、これらの地域では、農村としての性格を消失して、都市化地域のなかにのみこまれてしまったところが多くあります。また、兼業化の進行は農家所得の増大をもたらし、これによって消費生活の急速な向上、つまり耐久消費財や教養娯楽関係の需要の伸びが実現しました。同時に、兼業化自体が、都市的生活への接触を深め、これによって都市的生活様式の導入がすすめられています。
日本の経済は、昭和30年以降、いわゆる高度成長を示しますが、この間にあって、農業と他産業の間に生産性および従事者の生活水準の格差が拡大し、他産業への労働力の移動が顕著にあらわれてきました。政府はこの事態に対処して、農業基本法を制定しこれからの農業の方向づけをするとともに、いくつかの政策目標が示されました。構造改善事業は、資本と土地の零細性が特微である日本の農業構造の改善をはかるための施策として実施されていますが、これは家族農業経営の発展と自立経営の育成をその主眼として実施されています。事業は、市町村を単位にその範囲内で行なわれますが、それは農業生産基盤の整備開発と、農業経営近代化施設の導入を綜合的有機的に実施して、自立経営の育成と協業の助長をねらっています。つまり国の施策として、農業構造改善、大型の農業機械の導入、共同施設の設置が推進されるようになり、また、農業後継者育成確保のために、農村の生活環境の整備がうたわれるようになりました。

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